豐葦原

明治天皇御製 世はいかに開けゆくとも古(いにしへ)の國のおきては違へざらなむ

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護

Author:護
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清水澄博士講義 「帝国憲法制定の由来」

逐条帝国憲法講義 清水澄博士

清水澄博士解説 「帝国憲法制定の由来」 1

清水澄博士解説 「帝国憲法制定の由来」 2

清水澄博士解説 「帝国憲法制定の由来」 3


以下は、読み易くするために、漢字をいわゆる新字に、
カタカナをひらがなにし、句読点と空白行を加えたものです。

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第一編 緒論  第二章 憲法


第五節 帝国憲法制定の由来

明治維新は我か国未曾有の変革なり。大権帝政に帰して、立憲の萌芽を発し、民心新にして、国運進展の気運横溢せり。明治元年三月十四日、明治天皇紫宸殿に出御せられ、群臣率ひ、天地神明に誓ひ、五ヶ条の御誓文を宣明せられ、大に国是を定め、維新の洪模を立て給へり。五ヶ条の御誓文第一に曰く

「広く会議を起こし万機公論に決すへし」

と、是実に我か国、立憲制度の萌芽なり。同年閏四月二十一日更に政体書を発し給ふ。其の第二項に曰く

「天下の権力総て之を太政官に帰す。即ち、政令二途に出つるの患なからしむ太政官の権力を分ちて、立法、司法、行政の三権とす。即ち、偏重の患なからしむるなり」

と、是実に国政三権分立主義に則るへきことを、宣明せられたるものにして、立憲政体に近きものと謂ふへし。同年九月十九日議事取調局を開き、明治二年四月十七日之を廃し、新に制度寮を置き、同年五年十八日之を廃し、更に制度取調所を置き、同年八月之を改めて制度局となす。何れも立憲制度の調査に当らしむる機関にして憲法調査の濫觴たり。

明治二年、待詔局を開き、同年之を集議院に合併し、明治四年正院及左右院を置き、同年集議院を左院の所管となし、五年左院に命して、憲法及会議規則を草せしめ、左院は其の編纂に従事したりしか、紛議百出し憲法制定の業容易に成らさりき。

明治七年に至り、前参議副島種臣、後藤象二郎、板垣退助、江藤新平氏等、民選議院設立の議を建白す。当時、民心高調し、議会開設の機運漸く萌す。同年五月二日天皇勅を発し、将来国会を開く準備として、先つ地方官会議を開かんことを天下に告け給ふ。明治八年更に勅を発し、左右院を廃し、元老院を設けて、立法審議の任に当らしめ、大審院を設けて審判の事を掌らしむることと為せり。是我か国に於て、立法権と司法権とを分たんとする始めにして、以後、法律の名を以て発布せらるるものは、必す元老院の議決を経しめ、以て太政官の布告と区別し、又、民事、刑事の裁判は特設の司法機関をして行はしめたり。

明治九年九月、天皇太政官に臨幸ありて親しく元老院議長熾仁親王を召され、海外諸国の成法を参酌し、憲法の草按を命し給ひしか、明治十年、西南戦争に妨けられて、其の事成らす。明治十一年に至り、人民をして立憲参政の用に慣れしむる為め、府県会規則を発布して、府県会を設立し、次て立憲政治の基礎を固むる為め、区町村会法を発布し、区町村(今日の市町村)の自治を一般に認めたり。

此の頃より、国会開設の議、漸く世上に喧しく国会開設を請願するもの踵を接して東京に集まり、民論急調して、人心激越の風あり、政府内部に於ても、亦、大に議論あり。遂に、聖裁を煩はして、立憲漸進の主義に決し、明治十四年十月十二日、国会開設の勅諭を発せらる。勅諭に曰く

「朕、祖宗二千五百有余年の鴻緒を嗣き、中古紐を解くの乾綱を振張し、大政の統一を総攬し、又、夙に立憲の政体を立て、後世子孫継くへきの業を為さんことを期す。嚮に、明治八年に元老院を設け、十一年に府県会を開かしむ。此皆、漸次基を創め、序に循ひて、歩を進むるの道に由るにあらさるはなし。汝有衆、亦、朕か心を諒とせん。顧るに、立国の体、国各宜しきを殊にす。非常の事業、実に軽挙に便ならす。我か祖、我か宗、照臨して上に有り、遺烈を揚け、洪模を弘め、古今を変通し、断して之を行ふ責、朕か躬に在り。将に、明治二十三年を期し、議員を召し、国会を開き、以て、朕か初志を成さんとす。今、在廷臣僚に命し、仮すに時日を以てし、経画の責に当らしむ。其の組織権限に至ては、朕親ら衷を裁し時に及て、公布する所あらんとす。朕惟ふに、人心進むに偏して、時会、速なるを競ふ。浮言相動かし、竟に大計を遺る。是宜しく、今に及て謨訓を明徴し、以て、朝野臣民に公示すへし。若、仍故らに躁急を争ひ、変更を煽し、国安を害する者あらは処するに、国典を以てすへし。特に茲に言明し、爾有衆に諭す」

明治十五年三月、参議伊藤博文を欧州に差遣し、各国憲法制度の調査を命し給ふ。明治十六年八月、伊藤参議帰朝し、翌明治十七年三月、宮中に制度調査局を置き、憲法及皇室典範の調査起草に当らしむ。明治十八年十二月、大に制度を改革し、太政官を廃して内閣制度を創設せられ、明治二十一年枢密院を設置し、元勲練達の士を選みて、枢密顧問官に任し、之に重要国務を諮詢せらる。其の年、憲法及皇室典範の案成れるを以て、之を枢密院の議に付し、遂に明治二十二年二月十一日、紀元の佳節を以て、憲法及皇室典範を制定し、之を祖宗の神霊に告け、之を衆庶に向て発布せられ給へり。斯くして発布せられたる帝国憲法は、墺太利及独逸諸国の憲法中に、殊に普国の憲法を参考に供したる如く見受けらる。其の普国憲法は、西暦千八百五十年、白耳義憲法を模範として、制定せられたるものにして、其の白耳義憲法は、千七百九十一年及千八百三十年制定の仏国憲法を参照して、千八百三十一年制定発布したるものなり。然るに、千七百九十一年の仏国憲法は、実に欧州に於ける最初の成文憲法にして、其の憲法は、同国千七百八十九年の人権宣言を基礎となし、其の人権宣言は、北米国合衆国の憲法に其の模範を求め、其の米国憲法は、英国の大憲章、権利請願、権利宣言等より生出したるものなるか故に、我か憲法の法系は、実に普、白、仏、米、英諸国の憲法に遡り、而かも、其の短を捨て長を採り、我か国体と一致せしめたるものにして、世界憲法中の精華とも謂ふへきものとす。

要するに、明治維新の大業は、永く武門に属し来れる政権を朝廷に復し、我か国体の美をして、名実供に明ならしむると共に、五ヶ条の御誓文は、立憲政治の萌芽を発せしめ、爾来、幾多の調査審議を経て、明治二十二年二月十一日、平和洋々の間に歴史に基き、我か国体に適応せる現行の帝国憲法発布せらるるに至りたるなり。之を彼の君主に強制し流血悲惨の歴史を経て羸ち得たる外国憲法と同一に見ることを得さるなり。


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帝国憲法を読んでみよう
http://takato112.blog80.fc2.com/blog-entry-704.html

資料室 - 日本の「典」と「憲」
http://jiritsusaisei.blogspot.com/p/blog-page.html

究極の自虐史観は日本国憲法有効論-
帝国憲法起草の軌跡を記録する憲法資料上中下巻
http://oncon.seesaa.net/article/119953733.html

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