豐葦原

明治天皇御製 世はいかに開けゆくとも古(いにしへ)の國のおきては違へざらなむ

07<< 12345678910111213141516171819202122232425262728293031 >>09

プロフィール

護

Author:護
ご訪問ありがたうございます!

※※※※必見!必讀!※※※※
≪ 動畫 ≫
眞正護憲論(新無效論)解説
①講義編 ②質疑應答編
YouTube版(講義編+質疑應答編)
明治憲法への誤解が解ける動畫

≪ 著書 ≫
「國體護持總論」 HTML版
「占領憲法の正體」

≪ 國語 ≫
簡單に覺えられる歷史的假名遣ひ
※※※※※※※※※※※※※※

當ブログは平成二十三年四月から正字正かなで書いてをります(勉強中)。ブログの仕樣などにより正字表記できない漢字は新字體となつてをります。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

終戦翌日の朝日記事/当時はまだ真実を伝えていた!



==============================

 「二重橋前に赤子の群/立上る日本民族/苦難突破の民草の声」という見出し入りで、第二面トップに次のような記事を掲げている。

≪(前略)静かなやうでありながら、そこには嵐があつた。国民の激しい感情の嵐であつた。広場の柵をつかまへ泣き叫んでゐる少女があつた。日本人である。みんな日本人である。この日正午その耳に拝した玉音が深く深く胸に刻み込まれてゐるのである。あゝけふこの日、このやうな天皇陛下の御言葉を聴かうとは誰が想像してゐたであろう。戦争は勝てる。国民の一人一人があらん限りの力を出し尽くせば、大東亜戦争は必ず勝てるさう思ひ、さう信じて、この人達はきのふまで空襲も怖れずに戦つて来たのである。それがこんなことになつた。あれだけ長い間苦しみを苦しみともせず耐へ抜いて来た戦ひであつた。
 泣けるのは当然である。群集の中から歌声が流れはじめた。「海ゆかば」の歌である。一人が歌いはじめると、すべての者が泣きじやくりながらこれに唱和した。「大君の辺にこそ死なめかへりみはせじ」この歌声もまた大内山へと流れて行つた。またちがつた歌声が右の方から起こつた。「君ヶ代」である。歌はまたみんなに唱和された。あゝ、天皇陛下の御耳に届き参らせたであらうか。
 天皇陛下、お許し下さい。
 天皇陛下!悲痛な叫びがあちこちから聞えた。一人の青年が起ち上がつて、「天皇陛下万歳」とあらん限りの声をふりしぼって奉唱した。群集の後ろの方でまた「天皇陛下万歳」の声が起こつた。将校と学生であつた。
 土下座の群集は立ち去らうともしなかつた。歌つては泣き泣いてはまた歌つた。通勤時間に、この群集は二重橋前を埋め尽くしてゐた。けふもあすもこの国民の声は続くであらう。あすもあさつても「海ゆかば…」は歌ひつゞけられるであらう。民族の声である。大御心を奉戴し、苦難の生活に突進せんとする民草の声である。日本民族は敗れはしなかつた≫

 すべてはここからはじまったのであり、もし昭和二十年八月十五日が“戦後”の原点だったとするなら、そこにはこのような光景が隠されていたのである。「一記者謹記」とのみ記されているこの記事の末尾に、「日本民族は敗れはしなかつた」という一句があるのは、今日から見ればいささかの奇異の念をあたえなくもないが、当時日本本土には陸軍二百二十五万三千、海軍百二十五万、計三百五十万あまりの兵力が依然として温存されていた。また陸海軍あわせて一万六千機の保有航空機、少なくとも六千機以上は特攻作戦に使用可能と考えられていた。

============================

忘れたことと忘れさせられたこと (文春文庫)忘れたことと忘れさせられたこと (文春文庫)
江藤 淳 (1996/01)
文芸春秋

この商品の詳細を見る


閉された言語空間―占領軍の検閲と戦後日本 (文春文庫) / 江藤 淳

一九四六年憲法ーその拘束 (1980年) / 江藤 淳

スポンサーサイト

 | ホーム | 

カレンダー

07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

天気予報


-天気予報コム- -FC2-

ブログ検索

リンク

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。