豐葦原

明治天皇御製 世はいかに開けゆくとも古(いにしへ)の國のおきては違へざらなむ

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護

Author:護
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眞正護憲論(新無效論)解説
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簡單に覺えられる歷史的假名遣ひ
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【修身】 勇氣 

  第七課 勇氣

高田屋嘉兵衛(たかたや かへえ)は淡路の人なり。幼きときより、船頭の雇人となり、後、攝津の兵庫にて、運送業を開き、家業に勉勵し、やや、富裕の身となりたり。

このころ、ロシヤ人、しばしば、千島に入りこみしにより、幕府は、この地方に、役人をつかはさんとし、航海をよくするものをつのりしが、海路の危險を恐れて、應ずるものなかりき。嘉兵衛は、進んで、そのつのりに應じ、幕府の命を受けて、クナシリ島よりエトロフ島にいたる航路をしらべ、くはしく、報告せり。

その後、嘉兵衛は幕府の命を受けて、エトロフ島に渡り、土民に產業をさづけ、ところどころに、漁場を開きて、その業をはげましたり。


  第八課 勇氣(つづき)

ある年、ロシヤ人、千島等にきたりて、奪掠をなせり。よって、その後、ロシヤの海軍少佐ゴロブニン等が、クナシリ島にきたりし時、幕府の役人は、これをとらへたり。ゴロブニンの配下の士官リカルドはこれをうれへ、ゴロブニンの安否をたださんがため、日本人をとらへんと待ちゐたり。

たまたま、嘉兵衛はクナシリ島の近海を航せしに、ロシヤの船、ふいに、きたりて、嘉兵衛をとらへ、その本船に、つれ行きたり。本船には、七十餘人の兵士ありて、みな、銃をたづさへて、ならびゐたりしが、嘉兵衛は、その間を通りて、少しも、恐るる色なく、リカルドに面會せり。かくて、つひに、カムチャッカにつれゆかれたり。

嘉兵衛は、わが國とロシヤとの間の爭をとかんと思ひ、ある日、リカルドに問ひて、わが國にきたりて、奪掠をなしたるは、ロシヤの暴民のしわざにして、ロシヤ政府のあづからざることなりと聞き、リカルドに説きて、「幕府に、そのいひわけをなして、わぶべし。」といへり。よって、リカルドは、嘉兵衛とともに、クナシリ島にいたれり。嘉兵衛はロシヤ人と幕府との間に立ちて、周旋し、ロシヤよりは、さきの奪掠をわびしめ、わが國よりは、ゴロブニン等をかへさしめて、ながく、むすぼれゐたる兩國間の爭を解きたり。嘉兵衛のごときは、實に、勇氣に富みし人といふべし。


高等小學修身書 第二學年兒童用 文部省著作 (明治三十六年十二月十九日發行)
引用元 「修身」全資料集成

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