豐葦原

明治天皇御製 世はいかに開けゆくとも古(いにしへ)の國のおきては違へざらなむ

09<< 12345678910111213141516171819202122232425262728293031 >>11

プロフィール

護

Author:護
ご訪問ありがたうございます!

※※※※必見!必讀!※※※※
≪ 動畫 ≫
眞正護憲論(新無效論)解説
①講義編 ②質疑應答編
YouTube版(講義編+質疑應答編)
明治憲法への誤解が解ける動畫

≪ 著書 ≫
「國體護持總論」 HTML版
「占領憲法の正體」

≪ 國語 ≫
簡單に覺えられる歷史的假名遣ひ
※※※※※※※※※※※※※※

當ブログは平成二十三年四月から正字正かなで書いてをります(勉強中)。ブログの仕樣などにより正字表記できない漢字は新字體となつてをります。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

【修身】 ちゅーくん 

  第四 ちゅーくん

北条高時が、後醍醐天皇のおほせにしたがひませんでした。天皇は、楠木正成をおめしになり、「高時をうて。」と、おほせられました。

正成は「わたくしのいきてをるかぎりは、かならず、ごうんのひらけるよーにいたしませう。」と、おこたへを申し上げました。それから、わづかのへいをもって、たびたび、高時の大軍をうちやぶりました。

そのうちに、天皇のおみかたをするものができて、高時は、とーとー、ほろぼされました。


  第五 ちゅーくん(つづき)

その後、足利尊氏がむほんして、大ぜいのへいをつれて、みやこのほーへ、せめのぼりました。正成は、こころの中で、このたびのいくさには、とても、いきてはかへれまいとおもひ、子の正行(まさつら)にむかひ、「父がなくなった後も、ちゅーぎのこころをうしなふな。こーこーの道は、これよりほかにないぞ。」と、をしへて、國にかへしました。そして、湊川(みなとがわ)で、大ぜいのてきとたたかって、うちじにしました。

正行は、父のうちじにをきき、かなしがって、はらをきらうとしました。正行の母は、そのうでをおさへ、「おまへは、父うへのをしへをわすれたのか。」と、いってきかせました。

この後、正行は父母のをしへを守り、りっぱなちゅーしんとなりました。


尋常小學修身書 第四學年兒童用 文部省著作 (明治三十六年十一月廿八日發行)
引用元 「修身」全資料集成

スポンサーサイト

 | ホーム | 

カレンダー

09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

天気予報


-天気予報コム- -FC2-

ブログ検索

リンク

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。